2017年6月13日火曜日

開発援助の経験から日本は何を学んだというのか

インドネシアで様々な開発援助の現場を見てきました。援助する側から見た現場だけでなく、援助される側がそれをどのように受けとめているかも見てきました。

日本からインドネシアへの援助だけでなく、インドネシアの中央政府から地方政府、地方政府から地域住民への補助金や援助プロジェクトも見てきました。私自身、JICA専門家のときには、中央政府側と地方政府側の両方の立場で用務を行ったので、その本音の部分も含めていろいろと観察することができました。

中央政府には表向き絶対に逆らわない地方政府。しかし、中央政府の役人達が帰ると、途端に地方政府の役人から批判や不満が噴出します。中央政府の役人を交えたセレモニーでの猫を被ったような従順さと、あまりに対照的で、思わず笑ってしまいそうになります。

村でも同様です。役人が来るので、村人には百姓仕事を脇に置いてもらい、とにかくまずは人を集めます。役人のお話を恭しく拝聴し、食事も供して、役人には気持ちよく過ごしてもらいます。そして、役人が帰った後は、村の現実から遊離した役人の話の内容を咀嚼できずに、困惑したりするのです。

よそ者が相手に対して何か働きかける際、何も反発がない場合には、相手が完全に同意しているのか、相手が適当によそ者に合わせてくれているのか、見極める必要があります。でも、成果を気にするよそ者は、それをもって、うまくいっている、自分のやり方に同意してくれている、と自分に都合の良い解釈をしがちです。

日本の開発援助は、受益者自身が自分たちで自分たちのために主体的に物事を進めるようにするために支援する、という建前をとってきました。たとえば、研修や教育訓練を施すにしても、それらを実施できるトレーナーの人材育成も合わせて行い、日本がいなくなっても、自分たちで人材育成ができるような仕組みを埋め込んでいく、というような援助を、少なくとも建前上は目指してきたと思います。

そのノウハウや実践例は数多くあり、蓄積され、対象となる人々の自立を助けることが日本の開発援助の特色として語られることも少なくありませんでした。

そんな素敵な海外での実践経験を培い、その援助手法を世界に誇ってきた日本ですが、東日本大震災の後に東北で行ってきた復興支援にそうした経験はどれほど生かされたのでしょうか。あるいは、日本国内では、対象となる人々の自立を助けることをする必要がない何らかの理由があるのでしょうか。

そんなことを自問する毎日を送っています。

日本だけが素晴らしい、なんて到底思えない現実と、これから格闘していくのだ、という覚悟が求められていると感じます。このことについては、これからもおいおい書いていきます。

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