2016年12月31日土曜日

2016年が過ぎゆくなかで

まもなく、2016年が過ぎようとしています。

たくさんの忘れられぬ出来事があり、たくさんの方々に支えられながら、2016年が過ぎようとしています。

あたりまえの毎日の積み重ねだったのかもしれません。でも、二度と同じ日はやってこないのだから、一日一日をもっともっと大事に過ごしていかなければ、と思います。

正直言って、自分が嫌になることはよくあります。でも、もう少し、二度と同じ日はやってこない、自分の人生を敬ってみたいと思いました。

うれしかったこと、楽しかったこと、苦しかったこと、悲しかったこと、色々な気持ちを思い起こしながら、2016年が過ぎようとしています。

2016年中、皆様には、色々とお世話になり、ありがとうございました。皆様が、そして世界中の人々が一人でも多く、幸せな気持ちで新年を迎えられますことを祈っております。


なお、当方は喪中につき、新年の年賀挨拶は控えさせていただきます。ご容赦のほど、よろしくお願いいたします。

2016年12月24日土曜日

サンタ帽は宗教の押し付けか

この季節になると、インドネシアのショッピングモールやレストランなどで、サンタ帽やトナカイのツノをつけた従業員によく会います。

数年前、マレーシアのクアラルンプール国際空港で、空港職員がジルバブの上からトナカイのツノをつけているのを見たときには、本当に驚きました。とても興味深かったので、思わず、iPadで写真を撮ってしまったのですが・・・。

女性警備員がそれを見ていて、すぐに写真を削除するよう、強硬に求めてきました。マレーシアでは、空港での写真撮影が厳しく禁止されているのです。ジルバブの上からトナカイのツノは、それをうっかり忘れてしまうほど、衝撃的な出会いでした。残念ながら、写真は破棄しました(自動的にクラウドへアップできるものなら良かったのですが)。

その後、インドネシアでも同様にジルバブの上からトナカイのツノをつけている従業員をたくさん見かけることになりました。

しかし、インドネシアで、そうした従業員が上司からの指示で、嫌々ながらトナカイのツノをつけている、という側面があることが報じられました。実際に、どれぐらいの従業員が嫌がっているかはわかりません。気にしない従業員もいることでしょう。でも、従業員の宗教を無視して、上司がトナカイのツノやサンタ帽をつけることを強制してはいけない、という、まあ、当たり前の一般的な世論ができたような気がします。

振り返ってみると、インドネシアでトナカイのツノやサンタ帽が見られるようになって、まだ5年ぐらいしか経っていないような気がします。以前は、そんな姿は見られませんでした。というか、クリスマスは基本的にキリスト教との宗教行事であって、街中やショッピングモールがクリスマスで盛り上がるということは、特になかったと記憶しています。

最近、クリスマスの雰囲気を盛り上げるショッピングモールに白装束のイスラム系団体が押しかけ、イスラム・ウラマー審議会(MUI)が発出した「イスラム教徒が非イスラム教の格好をすることを禁止する」というファトワ(布告)を守らせるため、状況を監視し、ファトワに違反した場合にそれをやめさせようとするという動きがありました。

警察はこうした行為を行き過ぎであるとし、押しかけたイスラム系団体を説得して監視をやめさせようと努めました。宗教大臣は、イスラム系団体による一方的な監視は認めないとし、MUI自身もファトワの遵守は政府・警察などが行うべきとしてイスラム系団体による監視を認めない、という見解を示しました。

このファトワ自体に問題がある、ファトワ遵守が通常の法規の遵守よりも優先されるのか、といった議論はありますが、イスラム系団体が一方的に押しかけて監視することは認められないという点では一致しているようです。

そういえば、中国正月になると、今では、ショッピングモールの警備員たちが中国風の帽子や服装に身を包み、弁髪のような細長い結い髪の付け髪さえつける者さえ現れました。それを初めて見たのは3〜4年前だと思います。

クリスマスも中国正月も、そしてイスラムの断食明けも、すべてが以前よりも賑やかになりました。とくに、ショッピングモールや店々が競ってセールを催し、雰囲気を盛り上げるために、店のディスプレイや従業員の身なりを合わせていったのです。

10年、20年のスパンでこうした変化を見ていると、商業主義の影響がますます大きくなっていくことを実感します。トナカイのツノやサンタ帽は、その象徴といえるかもしれません。


上の写真は、昨年12月にマカッサルの有名な揚げ焼きそば屋Mie Titiで見かけた従業員ですが、この店でこんな様子を見たのは初めてだったので、やっぱり驚きました。

商業主義の浸透、という面は相当に強いのですが、他もやっているから自分たちも、という横並び意識も、商業主義の傾向に輪をかけているように思います。

2016年12月23日金曜日

【お知らせ】「自爆テロ未遂事件の背景」(有料記事)を書きました

以下の有料記事(100円)を書きました。よろしければ、ご笑覧ください。

 自爆テロ未遂事件の背景

中東へ戦士を送り出すイスラム過激派グループの話もちょっと書きました。ご意見、ご批判等ありましたら、よろしくお願いいたします。

2016年12月22日木曜日

便利屋にはならない、ともう一度言う

もう一度、言ってしまいたいのですが、やはり、自分は便利屋にはなりません。お人好しにもなりません。仕事師として生きていきたい、と改めて思います。

インドネシアと関わって30年経ち、地域づくりの勉強やファシリテーションに関わってからも10年以上経つのですが、自分はまだまだ未熟だといつも思っています。

インドネシアは関われば関わるほど分からなくなってくるし、地域づくりやファシリテーションもテクニックで済ませずにやろうとするとどんどん深みにはまってきます。

組織や地位に関わりのない状況となると、それに応じ、世間体を気にして演じる必要もないので、いつまで経っても、フツーの人の感覚で行動することになります。歳相応の態度、というのも分からないし、ある意味、まだ「子ども」のままなのかもしれません。貫禄ってなんだろう、なんて思います。

それでも、やはり、軽く扱われていると思ったり、タダで(あるいは安く)情報を取ろうとする人たちが私に接近してきます。「あなたの宣伝をしてあげるからタダで」と、なんだか心配してくださる方もいます。そういう方々と接していて、なんだか私を使い捨てのように見ていると感じたことがよくありました。実際、そういう方々は、必要なくなれば、私には何もコンタクトをしてこなくなります。

今年も様々な経験をし、学んだのは、仕事として割り切るべき時は割り切る、ということでした。

誠心誠意を込めて一生懸命尽くし、命を賭けるような覚悟で、自分の技の限りを尽くして何かを創ったとしても、その成果を他人が掠め取って、自分の手柄にしてしまう、ということが色々あることがよくわかりました。その他人にとっては、私はただの便利屋に過ぎなかったのです。

はい、あなたの仕事はこれでおしまい、と退場を促され、この後、自分の作ったものがどうなるかも分からずじまいになる、ということが起こってくるでしょう。そして、そこでは、そのような仕事のしかたで構わないのでした。

私は力の入れ方を間違っていたようです。誠心誠意を込めて一生懸命尽くし、命を賭けるような覚悟で、自分の技の限りを尽くす必要など、実はなかったのです。誰かが成果を掠め取っていくということが分かっていれば、最初からテキトーに仕事をしていればよかったのだ、と後悔してもいます。

自分が本当にやるべき「務め」は忘れてはならないのですが、それと収入や報酬を得るためにする「仕事」とは明確に分けて、「仕事」はその収入・報酬額を満たす分だけやればよく、それ以上の価値を生む余計なことはしない。

「いい人ですね」などとおだてられても、報酬なしの(下請け)仕事は基本的に断る、というのを基本にし、その濃淡を明確にしていく。ただし、「仕事」については、必要ならば、依頼主様のご希望には頭を下げて従うように振る舞う(これがなかなか難しい)。

そういったメリハリをつけて割り切って、「務め」の遂行のために「仕事」をする、ということが大事だと学びました。

2回前のブログでお知らせしたように、インドネシアに関する分析記事をノートというSNSを使って有料で書き始めたのは、その情報と分析は、皆さんにお金を払って読んでいただきたいからです。

でも、1本100円という価格設定が適切かどうかがまだ分かりません。それでも、お金を払って読んでくださった方がいたのは大変ありがたいことで、これからも、そこでしか読めないインドネシアの分析記事を(不定期ですが)書いていきたいと思います。

またまた神代植物公園のバラ

2016年12月17日土曜日

立教大学のクリスマスツリー

12月16日は、友人からの依頼で、東京・池袋の立教大学にてゲスト講義を行ってきました。

スーパーグローバル人材育成を目的としている科目らしく、講義は英語で行います。私の講義テーマは「コミュニティ・エンパワーメントと村落開発」、私自身の経歴や活動を踏まえて、自由に講義をしてください、ということでした。

出席者は9名、うち4名は留学生で、ほぼ全員、英語が堪能な様子でした。

私はといえば、色々と詰め込みすぎて、1時間弱ではちょっと足りなくなってしまいました。出席者の自己紹介を聴きながら、立教大学で教えている友人も改めて気づくことが多かったようです。

講義を終えて、キャンパスの出口のほうへ歩いていくと、電飾が施された見事なクリスマスツリーが2本立っていたので、思わず写真を撮りました。


残念ながら、2本一緒は写真に収まらず、1本のみの写真となりました。

この立教大学のクリスマスツリーは有名らしく、外国人観光客もわざわざ見に来るのだそうです。

高さ25メートルの2本のヒマラヤ杉に1150個の色電球が灯っているとのことです。

今流行りの点滅したり、色が変化したりするような電飾ではなく、幾つかの色の明かりが灯っているだけのシンプルなツリーです。そのシンプルさがかえって、見ている自分をホッとさせてくれる、温かな気分にさせてくれるような気がしました。

2016年12月16日金曜日

【お知らせ】noteで有料記事を書き始めました

このたび、noteを活用し、インドネシアの政治・経済・社会等の現状分析記事を不定期で書き始めました。次のリンクからご覧いただければ幸いです。

 noteへのリンク

記事では、スハルト時代を含む過去からの事象や人的ネットワークに関する独自情報も踏まえながら、インドネシアの現状を私なりに分析していきたいと考えています。

このため、誠に僭越ながら、有料記事とさせていただきます(1部100円)。

合わせて、過去に書いた記事も、1部100円にて閲覧可能としていきます。それら記事をまとめたマガジン(有料)も掲載していきます。

インターネットが普及し、インドネシアについても様々な情報が流れるようになりましたが、情報は玉石混交で、読者側の情報に関する取捨選択能力を問われるような状況となってきました。

私自身の流す情報がすべて正しいと断言するつもりはありませんが、少しでもインドネシアについての多角的な理解とより広く深い日本=インドネシア関係の構築につながるような、情報提供をしていければと願っています。

そして、日本向けのインドネシア情報の提供にとどまらず、インドネシア向けの日本情報の提供にも努め、双方向での理解の深化への貢献を目指していきたいと思います。

さらに、情報提供にとどまらず、それが何らかのアクションへつながることも意識し、それを実現すべく活動していきたいとも考えます。

ともかく、まずは私の記事をお読みいただき、忌憚ない意見や批判、コメントをいただければ幸いです。引き続き、どうぞよろしくお願いいたします。

なお、このブログ「ぐろーかる日記」では、引き続き、思ったこと、考えたこと、感じたこと、伝えたいことなどを気ままに書きのこしていきます。相変わらずではありますが、食べもののことや日常生活の話も書いていきます。引き続き、お付き合いのほど、よろしくお願いいたします。

神代植物公園のバラ

2016年12月14日水曜日

マングローブ保全とビジネスの両立

12月7〜11日、今年最後のインドネシア出張として、スラバヤへ行ってきました。

今回は、地球環境戦略研究機関(IGES)の研究員の方からの依頼で、持続可能なコミュニティを目指すための政策を考えるための前提として、環境と共生するスラバヤの地元での活動の現場などを案内する、という仕事でした。

今回は、わずか2週間前に依頼された急な用務でしたが、実質2日間で、スラバヤのいくつかの場所を案内できました。

そのうちの一つは、マングローブ保全活動とコミュニティ開発を両立させているルルット女史のグループの活動です。彼女とお会いするのは、今回で4回目になります。

最初にお会いしたのは、2009年、スラバヤで開かれていたとある展示会の場でした。そのときの様子は、かつてブログに書きましたので、興味ある方は、以下のリンクをご参照ください。

 マングローブからの贈り物

その後、2014年12月には、ジェトロの仕事で、新しいビジネスを志向する中小企業家のインタビューの一環で、お会いしました。以下はそのときの写真です。


彼女の活動の特徴は、マングローブ林の保全・拡大から始まり、マングローブの実や種を使った商品開発を行うことで、環境保護とビジネスとを両立させる活動を実際に実現したことにあります。その代表例として、先のブログ記事にも書いたように、マングローブから抽出した様々な色素を使った、バティック(ろうけつ染め)を作り出したのでした。

ルルットさんは、マングローブの実や種などの成分を分析し、健康によいと判断したものを飲料や食品などに加工し、販売してきました。ジューズ、シロップ、せんべいなどのお菓子やその成分を刷り込んだ麺を開発したほか、石鹸、バティック用洗剤などにも加工してきました。マングローブ加工品はすでに160種類以上開発したということです。

2009年に林業省と契約し、スマトラやカリマンタンでのマングローブ保全とマングローブ活用製品開発のコンサルティングを開始したのをきっかけに、全国各地で、ルルットさんの指導を受けたマングローブ保全グループが立ち上がっていきました。なかには、ルルットさんの指導から自立して、独自に製品開発を行い、それらの製品を外国へ輸出するグループも現れているとのことです。

「これまで何人を指導したのですか」とルルットさんに尋ねると、「数え切れないわ」と言いつつ、ちょっと恥ずかしそうにしながら「数千人」と答えました。

インドネシア全国で、ルルットさんの教えを受けた数千人がマングローブ保全活動とマングローブの恵みを活かしたコミュニティ開発に関わっている、と考えただけで、私たちの目の見えないところで、様々な環境を守り、再生させる努力が地道に行われていることを想像しました。

ルルットさんは、今でも「活動の第一目的はマングローブ保全だ」ときっぱり言います。彼女によれば、マングローブを活用するコミュニティ・ビジネスとして成り立たせていくには、最低でも2haぐらいのマングローブ林が必要で、それまではとにかくマングローブを植え続けることが重要だそうです。

そうでないと、住民はマングローブ林を伐採し始めるのだそうです。彼女が先日行った東南スラウェシ州クンダリの状況は、本当に酷く破壊されていて、まだまだ頑張らねば、とのことでした。

もっとも、ビジネスとして大きくしていくつもりは、あまりないそうです。マングローブ産品の売り上げやルルットさん自身のコンサルタント報酬のほとんどは、マングローブ保全の活動に使っているので、利益はほとんどないと言います。少なからぬ民間企業が共同ビジネスを持ちかけてくるそうですが、全部断っているとのこと。彼女が持っているマングローブ加工のノウハウや成分の活用法などは、門外不出だそうです。

もっとも、彼女は、民間企業がマングローブ保全活動を行うように働きかけてもいます。マングローブ林を破壊したり、海を汚染したりする企業に対して反対運動を仕掛けるのではなく、むしろ、それらの企業のコンサルタントとなって、「マングローブ保全を行うほうが、漁民や住民による反対運動やデモを避けることができる」と説き、排水・廃棄物処理の方法などを企業側にアドバイスする、そうしてコンサルタント報酬もちゃっかりいただく、というなかなかしたたかな側面も見せていました。

それにしても、なぜ彼女はそこまでしてマングローブ保全にのめり込んでいるのでしょうか。その理由が今回初めてわかりました。20年以上前、ルルットさんは難病を患い、体が動かなくなり、歩けなくなって、死を覚悟したそうです。真摯に神に祈りを捧げると、不思議なことに、動かなかった足が少しずつ動き始め、その後2年間のリハビリの末、日常生活へ復帰することができました。

この経験をきっかけに、自分が取り組んできた環境保全の道を命ある限り進んでいこう、と決意したそうです。そんなルルットさんは、本当に、マングローブ保全活動に命をかけているように見えました。

政府からは様々な支援の申し出があるそうですが、ルルットさんはその多くを断り、自前資金で活動を進めることを原則としています。メディアへは、マングローブ保全のさらなる普及のために積極的に出ていますが、それに流されることはありません。

ルルットさんのような方が現場でしっかり活動しているのは、とても心強いことです。我々のような外国の人間は、ともすると、インドネシア政府やメディアでの評判を通じて良い事例を探しがちですが、それは本物を見間違える可能性を秘めています。

私自身、ルルットさんの活動を今後も見守り続けるとともに、彼女のような、地に足をつけて活動している本物をしっかり見つけ出し、他の活動との学び合いの機会を作っていければと思っています。

2016年12月5日月曜日

晩秋の東京で遅ればせながら紅葉狩り

バタバタしているうちに、秋はどんどん遠ざかっていきました。

今年は無理かなと思いつつ、12月1日に某シンクタンクでインドネシア経済についてブリーフィングを行った後、翌2日、妻と一緒に東京の神代植物公園へ行きました。

東京なので、まだ紅葉は残っていて、なんとか間に合いました。








神代植物公園といえば、バラ園も有名ですよね。季節が晩秋ということもあり、咲き誇るという感じではありませんでしたが、バラも色々と咲いていました。ついつい、写真を撮ってしまいます。








これから冬を迎えるこの晩秋という季節に、はかなさというか、寂しさというか、しかし、心が満たされている、言葉にならない不思議な気持ちをいつも抱いてしまいます。

今年ももうすぐ終わっていくのだな。しみじみと、そしてぽつんと、そう思うのです。

・・・・・・・・・・

晩秋に出会えて一段落。12月7日から、急に入った今年最後のインドネシア出張(3泊5日)でスラバヤへ行ってきます。

2016年11月30日水曜日

別の未来を始めよう!


シンガポールの女性軍人採用の広告です。リクルートメント・フェアをOCBCスクエアで12月2・3日に開催する、と告知されています。

3人とも、爽やかな笑顔が印象的で、「別の未来」というのがちょっと素敵なフレーズです。その意味は、実は、きっと、なかなか複雑なのかもしれませんが。

シンガポールの男子には徴兵制があります。17歳で徴兵検査を受ける義務があり、適性と判断されると、18歳で召集され、予備役だと、2年間に年間最長で40日間の兵役義務が課せられます。ただし、大学等へ進学する場合には延期が可能で、卒業後などに兵役義務を果たすことになります。

ただし、兵役では、軍事部門だけでなく、消防などの非軍事部門にも配属されるそうです。そして、兵役終了後も13年間は予備役に就くそうです。兵役拒否は良心的であろうとなかろうと難しいとか。

こうした文脈で、この「別の未来を始めよう!」を見ると、シンガポールの少子高齢化の影響が想像できます。このままでは、十分な数の若者を徴募兵として確保できず、また、予備役の動員も現実的には難しいため、兵役義務のない女性をも軍人として採用しようとすることを盛んに行なっていかなければならないのではないでしょうか。

前回のブログの水問題もそうですが、小国であるシンガポールには、自分で自分の国を守らなければならないという危機感があると感じます。

この広告のすぐそばには、「クマちゃんメリークリスマス!(Have a Beary Merry Christmas !)」と、早くもクリスマス気分全開の飾り付けがありました。


シンガポールがテロリストの標的になるかもしれないという不安もある中、彼女たちの「別の未来」が、こうしたほんわかした世界と別の未来にならないことを願ってしまいました。

2016年11月29日火曜日

シンガポールのニューウォーター(新生水)

11月26日、ジョグジャカルタから帰国する前に、久々にシンガポールに寄りました。お目当ては、もちろん食べ歩きなのですが、それ以外に、在シンガポールの友人が面白いところに連れて行ってくれました。

それは、シンガポール・ニューウォーター・ビジターセンター。シンガポールの水道公社が行っているニューウォーター(新生水)を一般向けに紹介する施設です。

このニューウォーターというのは、一言で言えば、リサイクル水のことです。シンガポールが水を確保する方法は、(1) マレーシアから買う、(2) 雨水などをため池に貯める、の他に、(3) ニューウォーター(リサイクル水)を生産する、があります。

ニューウォーターは、下水をろ過し、殺菌し、蛇口からそのまま飲める状態にして、浄水へ還元する水です。ビジターセンターでは、その工程を学ぶことができます。

そこでは、まず、下水をマイクロフィルターでろ過、次に逆浸透膜(RO膜)を通して水に含まれる不純物を取り除き、最後に紫外線消毒をすることで、ピュアな水を生産できる、ということのようです。

ニューウォーター自体の研究は1970年代から行われていたようですが、コストと信用性の問題から実用できずにいたのが、1998年に生産体制が確立し、2000年に最初のニューウォーター生産プラントが完成、2001年から供給が始まり、現在では、シンガポールの水供給の30%をニューウォーターが占めるまでになったということです。

実際、ビジターセンターでは、ペットボトルに入ったニューウォーターを飲むことができ、もちろんしっかり飲みました。クセのない美味しい普通の水でした。

ペットボトル入りのニューウォーターは、実際に市中で販売を試みたらしいのですが、あまり売れなかったということです。もともとが下水なので、人々が気持ち悪がって飲まなかったのだと想像します。

今のところ、ニューウォーターは産業用として主に使われていますが、渇水時には、通常のため池からの水と混ぜて飲用にも使われています。

シンガポールは、自然の水源を持たない国です。マレーシアからの水の購入は2061年まで契約がありますが、そのマレーシア自体が水供給が不足気味と聞きます。こうした事態を見越して、シンガポールはニューウォーターの開発を進め、今では、ニューウォーター生産プラントが4箇所稼働しており、マレーシアとの契約が切れる1年前の2060年に、ニューウォーターの比率を水供給の55%にまで引き上げる計画です。

アジア有数の高所得国となったシンガポールの重要な懸案の一つが水問題であり、それを克服するために、ニューウォーターの開発を進めてきたことに、先見の明を感じます。

もっとも、シンガポールの250万人という人口規模とその集中具合が、高コストのニューウォーター開発を可能にする要素の一つで、どんな国でもニューウォーター開発が有効という訳にはならないことも事実だと思います。

このビジターセンターは、チャンギ空港のすぐそばにあります。センターでは1日に4回の無料ツアー(所要約45分)を行なっていて、誰でも気軽にネットで申し込むことができます。ツアーでは、「シャワーの時間を1分減らすとこんなに水の量を減らせる」といった水の使用量を節約させる教育的機能も果たしています。

このような政府施設をオープンにし、ネットで申し込める見学ツアーなどを通じて、積極的に住民へ説明し、節水意識を広めていくといった活動は、日本の行政機関などももっと学べるのではないかという気がしました。

こんな、一味違ったシンガポールに出会うのもいいのではないでしょうか。

The NEWater Visitor Centre
20 Koh Sek Lim Road, Singapore 486593
E-mail: pub_newatervc@pub.gov.sg
Phone: 6546 7874

見学ツアーの予約はこちらから。
https://app.pub.gov.sg/newatertour/Pages/default.aspx

2016年11月26日土曜日

入れなかったジョグジャのきのこレストラン

ジョグジャカルタの郊外、スレイマン県にきのこ料理のレストランがあるというので、知人と一緒に昼食に出かけました。

このレストラン「ジェジャムラン」(Jejamuran)、全てのメニューがきのこづくしということで、まあ、よくある地方のちょっとしたレストランだろうな、というような、あまり期待もしない、軽い気持ちで行ったら、とんでもない状況でした。


とにかく、店が広い。そして、その店が満員で、たくさんの人々が並んで待っているのでした。

きのこだらけ

きのこづくし

「しめじ」の看板

「舞茸」?の看板

奥では拡張工事中

たまたま、今日は「全国先生の日」(Hari Guru Nasional)のようで、学校がお休みらしいのと、ちょうどムスリムの金曜礼拝が終わった後、ということで混んでいたのかもしれません。でも、第一駐車場も、第二駐車場も、第三駐車場も満杯なのです。


このレストランは、様々なきのこ料理を出すだけでなく、値段も安いのが特徴のようです。今では、ジョグジャカルタ周辺だけでなく、ジャカルタや外国からも客が来る、観光スポットの一つとなっているようです。


きのこだけで、これだけ人が集まるとは驚きです。

このレストランの経営者ラティジョ氏は、1968年からきのこ栽培を始め、ディエン高原にきのこ栽培会社を立ち上げて、一時は7000人を雇用し、海外へ輸出していました。

そういえば、1993年にディエン高原へ行ったときに、大きなマッシュルーム栽培加工を行う会社があったのを思い出しました。当時のディエンでは、マッシュルーム・チップスが有名なお土産品でした。

しかし、ディエン高原の会社は、その後、経営が悪化して倒産してしまいます。ラティジョ氏は1997年、机一つで道端できのこ料理を売り始めました。客の多くはトラック運転手や田んぼから帰って来る途中の農民でした。これがレストランとなるのは2006年でした。

料理人には地元のお母さんたち、その他の従業員には、当時、砂などを運搬する人夫だった地元の若者たちに声をかけ、一人一人面接しながら雇っていったということです。他にも同業のきのこレストランができたそうですが、結局、途中で消えていったようです。

それにしても、ラティジョ氏のきのこ一筋の波乱万丈の人生を思いつつも、このレストランの繁盛ぶりはすごいとしか言いようがありません。

結局、我々は入るのをあきらめました。

たかがきのこ、されどきのこ。いつかまた、訪れてみたいと思います。

2016年11月25日金曜日

ジョグジャのワンタン麺は・・・

11月24日の夜、ジョグジャカルタでワンタン麺のはしごをしました。

ジョグジャカルタで麺を食べる、というのはある意味邪道かもしれません。というのも、ジョグジャカルタなどでこれまでに食べた麺は、コシのない麺ばかりで、美味しいと思ったものは皆無だったからです。

ミー・ジャワ(Mie Jawa)というジャワの麺があり、ガジャマダ大学の学生たちに「おいしいところがある」というので連れて行ってもらったことがあるのですが、やっぱりコシのないベチャッとした麺で、それを嬉々として食べている学生たちの味覚は違うのだ、と自分を納得させようとしたものでした。

今回食べた2箇所のワンタン麺は、その意味でいうと、麺のコシはそれなりにあり、シコシコと食べられました。どちらも、値段は1杯1万ルピア程度と、ジョグジャカルタということもあって、かなり安かったです。でも、実際に食べてみたら、その安いということの別の意味がわかってしまったのです。



その意味とは・・・。ワンタンの中に具が入っていない!! ゆでワンタンもあげワンタンも、ワンタンの皮だけなのでした。おーっ、ワンタン麺よー。

他の店は知りませんが、少なくとも今回食べた2軒とも、ワンタンの具がなかったのでした。もしも、これがジョグジャカルタのワンタン麺の標準なのだとしたら、値段は安くとも、ちょっと残念です。

2016年11月22日火曜日

今週はジョグジャカルタ

11月5日に帰国して、2週間後、再びインドネシアです。今回の出張先はジョグジャカルタのみです。

実は、私には愛知県立大学多文化共生研究所の共同客員研究員というステータスがあり、そのステータスで、ジョグジャカルタの国立ガジャマダ大学にて、愛知県立大学のプログラムの一部を担当するための出張なのです。

内容は、ガジャマダ大学政治社会学部の学生向けに特別講義を行った後、愛知県立大学のプログラムで日系企業へのインターンを予定している学生9人の面談・カウンセリングを行います。

これは、これまでも3回ほど過去にやってきたプログラムで、個人的には、学生たちと面談していろいろ話を聞くのが楽しみです。彼らが自分の将来をどんなふうに考えているのか、日本や日本企業に対してどんなイメージを持っているのか、これからどんな社会を作っていきたいのか、といった話が展開し、思わず彼らの本音が聞こえてくるからです。

ずっと思っていることなのですが、日本の学生たちとも、インドネシアの学生たちとも、こんな風にして話をし、本音を聞けるような機会があると、彼らはやはり同じ時代を共有しているのだなと思える反面、未来への期待という面ではこんなに違うのか、という感慨を持ったりすることもあります。

少し前のブログで書きましたが、日本でもインドネシアでも、若者たちが本音を出せるような場づくりをしてみたいと思うようになりました。それは、年配者が若造を教育する場ではなく、お互いが上下の意識なしに自分の思うことを自由にいい、互いにそれを聞き、尊重しながら、アプローチは異なっても、新しい解を一緒に探していけるような場づくりです。ディベートのような勝ち負けを求めるのではなく、自分たちが予想もしていなかったような解を見つけ出せるダイアローグを志向したいのです。

短い期間ではありますが、こうしてインドネシアの大学で学生とじっくりコミュニケーションできる機会があるのはとてもありがたいことです。

前回のJICA案件のときのように、毎日移動で宿泊先が変わるということは今回はなく、ずっとガジャマダ大学の構内にある宿舎に5泊します。ガジャマダ大学の仕事のときにはいつもお世話になっている宿舎で、今日も、管理人ご夫妻と再会を喜び合いました。この宿舎の朝食のナシゴレンが美味しくて、楽しみなのです。

予定もあまり入らず、夜も長く過ごせそうなので、ゆったりした気分です。宿舎のインターネットも快適で、今夜は、ショパンを聴きながら過ごしています。

2016年11月19日土曜日

「この世界の片隅に」を観て

JICA案件の報告書原稿も終わり、2週間前から何度も点滴を打ってきたヘルペスの治療も終わり、ようやくほっと一息、秋の深まりを家族と感じられる日々となりました。

気持ちは若いつもりでも、体は嘘をつきません。自分に合った仕事のペースを確立し、過労にならないように、過ごしていきたいと思います。

ところで、今週、「この世界の片隅に」という映画を観てきました。戦時期の広島や呉を舞台にした内容でしたが、話の細部に至るまで、取材して実際に聞いた話である様子がうかがえました。この映画の後ろには、たくさんの人々の人生の数ページが反映されてできたものなのでしょう。

また、戦闘機による爆撃シーンをはじめとして、描写もかなりマニアックなほどのディテールにこだわって、実際の様子を再現しようとしていました。

映画自体のストーリー展開はわりと平板ではありますが、かなり長い時間を普通の人々の生活描写に当てていたからこそ、映画の後半の意味は深く迫ってくるのだと感じました。

戦時期ということで、暗い内容ではあるのですが、日常の生活の中での楽しみや笑いも出てくる場面も多々あり、とくに主人公の人間としてのフツーさが愛おしく感じられるほどでした。そして、だからこそ、主人公の周りの日常が壊れていく様子やそれに対する人々の戸惑いや表に出せない怒りがぐっさりと迫ってくるように思えました。

映画を観ながら、これは、広島や呉についての映画ではないと感じました。それは、私たちの想像力に対する挑発だったのかもしれません。ごく普通の日常の生活が、自分たちの意識しないうちに奪われ、それに翻弄されながらも生き抜かなければならない、そうしたことへの想像力を高めることが必要なのだ、というメッセージにも聞こえました。

シリアやイラクをはじめとする世界中の内戦とそれが生み出すおびただしい数の難民のことも、麻薬や薬物に溺れてしまうアメリカの労働者のことも、原発事故である日突然故郷から遠く離れなければならなくなった福島県相双地区などの人々のことも。本当は本来の日常生活があったのに、それを奪われてしまった人々が懸命に生き抜こうとしている、この世界の片隅にある光景なのだ、ということを思い出させてくれるのです。

世の中の空気に巻かれてしまっていても、それにはなかなか気づかないし、気づいたとしても、それをどうにもすることができない、ということがあります。そのとき、人々にとっては自分たちの日常生活をどう守っていくかが最重要課題であり、生き抜くためには何でもしなければならなくなるでしょう。

もう一つ、この映画は、どんなに日常生活が脅かされ奪われようと、自分を見失わない、自分が自分であり続けること、というメッセージもあったように思います。自分を見失わない、その基本は、日々の日常をきちんとしっかりと抑えていくという当たり前のことを当たり前にしていくことなのだと思いました。

左とか右とか、ハトとかタカとか、そういったレッテル貼りは、日常生活を離れた空中戦。地に足をつけた日常をいかに大事に丁寧に生きていくか。世界中の何十億もの「この世界の片隅に」生きる人々の生活に思いを馳せながら、自分の足元をきちんと見て生きていきたい、と改めて思いました。

「この世界の片隅に」は、勧善懲悪でも速いテンポでもない、エンターテーメントでもない映画です。まだの方は、素の自分のままで、鑑賞していただければと思います。

上野公園・国立博物館前の色づき始めた木々
(本文の内容とは関係ありません)

2016年11月16日水曜日

自分が自分で居られる場所を求める若者たち

先日、インドネシアに興味を持っているある大学生と会いました。そして、2時間ほどいろんな話をしました。

その方は、卒業論文の準備として、私が昔書いた書きものを読んでくださっていたようで、どこでどう知ったのか、ツイッターを通じてコンタクトをしてきました。私も、これまで関わってきた仕事の原稿をほぼ書き終えたし、ヘルペスからも順調に回復してきたので、お会いすることにしました。

その方はインドネシアにも滞在したことがある様子で、住んだ人でないと知らないようなマニアックな地名や食べ物の名前の連発で、けっこう盛り上がりました。

だんだんと打ち解けてきたと見えて、その方は大学の話をし始めました。その中心は、自分の思っていることや考えていることを友だちや先生と自由に話すことができない、というものでした。そして、本当はそういうことができるのが大学だと思っていた、とも言いました。

もしかしたら、その方は、周りを見回しながら、「したいけれども、そういうことができない」と自分で思い込んでいるだけなのかもしれません。でも、先生や友だちから言われると、それに反論することなく、黙ってしまうようなのです。

また、先輩からは、「就職したらすべては損得で動くのだから、そうではない大学時代を満喫しろよ」とも言われたそうです。

その方は、自分の思ったことを話せない大学、損得ですべて動く将来、が正しいこととは思っていない様子ですが、それを受け入れずに社会人になることはできないと思い込んでいました。

この方のような大学生は多いことでしょう。自分の周りから色々指を指されないように、周りに合わせて過ごしている、あるいは過ごさざるをえないと思っている彼ら。そんな彼らを否定的にみる大人も少なくないことでしょう。

でも、話しながら思ったのですが、彼らをそうさせているのは、我々大人なのです。大人が彼らの話を聞かない、彼らを従わせようとする、のではないか。彼らに自由に意見を述べさせ、それを幼稚だとか稚拙だとかいって否定せずに、一人の人間の言動として聞いてあげる、そんなことが大人にはできていないのではないか、と思いました。

きっと、大学や職場だけでなく、家庭や自分の家族とも、そんな状況になっていて、彼らが自分を取り戻せる場所を失ってしまっているのかもしれません。

「もしも、自分の意見を自由に言えるような場所や機会があったら、参加してみたい?」とその方に聞いてみました。「ぜひ参加したい」とその方は言いました。自分をさらけ出せる場所、自分が自分のままでいていい場所、そんな場所が必要なのでしょう。

鯖江市のJK課を思い出しました。おそらく日本で唯一の、女子高校生が行政に意見を言えるJK課。そこで一番大切にされているのは、女子高校生が本音で安心して話のできる空間を用意することでした。

そうした場所を見つけられない若者たちは、ネットの中のバーチャル空間に居場所を求め、そこで出会う見ず知らずの人たちに引き寄せられてしまうのではないか。そこには、そうした彼らを引き寄せる悪意を持った人物やカルトなどが跋扈して、無防備な彼らを待ち受けているのかもしれません。

昔から、素の自分を受け入れてくれる人に出会えたと思ったら、カルトの勧誘だった、もう抜けられない、といった話はよくありました。一歩間違えると、実は私もまた、そんな不審者と思われるかもしれない、と思いました。

損得で動いていると、そんな若者たちの相手をする時間の対価さえも求めがちになりそうです。でも、自分を自分として認めてくれる、安心できる場所と機会を求めている若者たちは多いはずです。大人がそうした若者たちに向き合い、大人自身の生き方や関わり方を変えていく必要があるのではないかと思います。

でも、どんなふうにして?

今回お会いした方は、自分と同じように思っている友だちが5人ぐらいいると言っていました。もし、彼らが私を信用してくれるなら、とりあえず、その5人と自由にむだ話のできる時間を作ることから始めるのかなあと思います。そのうち、テーマを決めて、自由に議論ができる「私ゼミ」をやってみようかなとも夢想します。

それにしても、自我を形成するはずの大学が、他人に合わせることを第一にするような考え方や態度を学生たちに直接・間接に促しているとするならば、とても残念です。

2016年11月13日日曜日

東京のど真ん中のヤシの木

東京のど真ん中にヤシの木がありました。

場所は、日比谷公園。第一花壇の真ん中にシュロの木があるのですが、その東側にヤシの木が植えられています。



ヤシの木で目立つのは一本だけですが、よく見ると、その下のほうに何本か小さいヤシの木が植えられている様子がうかがえます。

やはり、ヤシの木を見ると心が躍ります。しかも、東京のど真ん中。

日比谷公園といえば、この二羽も忘れられません。今日も、口から水を噴き続けています。



2016年11月12日土曜日

お酉さまで甘酒

11月11日は一の酉。毎年の恒例で、東京・巣鴨の大鳥神社にお参りし、1年間家に置いてあった熊手をお返しし、新しい熊手を手にしました。

お神酒を飲んで、奥を見ると、お休みどころがあります。

一の酉はいつも混んでいるので、お休みどころへは行かずに済ませてきました。でも、今回は空いているので、お休みどころへ行ってみました。

お休みどころでは、甘酒が売られていました。大鳥神社の自家製甘酒ということで、早速いただくと、これがまあ美味しい。そして気分はほっこり。

机の上には、なぜか、醤油瓶に入った黄色い液体とお漬物が置かれています。大きめの柑橘類は、おそらく飾りでしょう。


醤油瓶に入っていたのは、ショウガ液でした。これを甘酒の中に入れて飲んでみたら、オリジナルに輪をかけて美味しい! しかも、この漬物がまた甘酒に合うこと!

甘酒にショウガ液+漬物。なかなかの取り合わせでした。

この後は、近くのパン屋がこういう時にしか売らないケーキドーナッツを15個買いました。これは、一の酉に来ると必ず買う物です。

そして、千石自慢ラーメンで肉そばを食べて、大鳥神社の一の酉への参詣を終えました。


2016年11月10日木曜日

トランプ氏が嘘をついても不思議ではない

アメリカ大統領選挙が終わり、トランプ氏が第45代大統領になることが決まりました。メディアのほとんどがヒラリー・クリントン候補の圧勝を予想していたので、この2日間、なぜ予想が当たらなかったのか、トランプになって大丈夫なのか、といった話がメディアで盛り上がっていました。

トランプ氏が大統領になったら何をするか分からない。そんな不安が世界中を駆け回っています。選挙運動中の彼の言動がその不安の元になっているのですが、それが全て本当に実行するかどうかは、これからの彼の様子を見て判断するしかありません。

例えば、トランプ氏は、アメリカが世界の警察官であり続けることを止めたいという主張をしているように見えます。一説では、退役軍人はトランプ氏を支持し、軍需産業はクリントン氏を支持したとか。好戦的なのはむしろクリントン氏だったのではないか、という話もあるようです。でも、それが本当なのかどうかはよくわかりません。

トランプ氏は嘘をついても不思議ではないのです。そして、それが誰かにとってプラスならば嘘は許容され、マイナスであれば批判されるでしょう。

政治家は嘘をつきます。それを「冗談」で済ませようとする人もいます。

今日のTPPもそうでしたが、我が国の政治を見ても、選挙運動中に「絶対」と叫んでいた公約とは正反対の政策を何が何でも「強行」するという、一貫性も何もない政治家がたくさんいるではありませんか。彼らはそうした行動を恥ずかしいとも何とも思っていないように見えます。でも、彼らは我々の代議員なのです。

きっと、選挙中の絶叫は「冗談」だったのでしょう。我々は、そんな「冗談」に騙されやすいチョロい有権者と本当に甘く見られているのではないか。だって、そんな嘘をつかれ続けても、従順な子羊のように、大人しくしているのですから(自分も含めて?)。そして、選挙になると、また「冗談」で有権者をだます、そして有権者はだまされる(あるいはだまされたフリをし続ける)のです。

そして「嘘つき!」と言おうものなら、「まだまだ子供よのう」「大人になりなさい」などと言われるかもしれません。でも、嘘つきを黙って見過ごすのが大人なのでしょうか。

そう思うと、トランプ氏が豹変したからといって、誰も責めることはできないと思うし、選挙運動中に主張していたことを本当にやるかどうかは分からないのではないでしょうか。我々は誰もトランプ氏のことをよく分かっていないのですから。

為政者が、政府が、自分のために何をしてくれるのか、を考えるのはもうやめました。とくに、東日本大震災以来、政治家の言うことは嘘や「冗談」ばかり。それを信じて右往左往した挙句、見捨てられるような扱いをされたくはないからです。そして、改めて、自分の頭で考えて行動しなければいけない、といつも思うようになりました。

2016年11月7日月曜日

帰国し、しばし静養中

10月30日〜11月5日、今年関わっているJICA案件最後のインドネシア出張を終えて、帰国しました。

今回は、福島市チームとともに、東ジャワ州バトゥ市とマラン市を訪問しました。福島市との間で、農業関係の今後のよい連携関係が生まれそうな確信を得ることができた、有意義な出張でした。

バトゥ市の水耕栽培用ジャガイモの育苗所にて

とくにバトゥ市では、市長表敬に留まらず、市の農業政策アドバイザーの大学教授から、極めて前向きの見解が示され、今後の展開を積極的に進めていこうという機運が強まっています。これらの内容については、いずれ、時期を見てお知らせしていきたいと思います。

9月27日〜10月22日のインドネシア出張に続いて、帰国後も報告書執筆に集中し、10月28日に名古屋で講演した後、今回の出張となりましたが、この間、私にしては珍しく、体調がすぐれない状況がずっと続いていました。

チーム内にはインドネシア語で仕事のできるメンバーが他にいないため、本業のサーベイ以外に、アポ取り、車両アレンジ、ホテル手配などのロジや、福島市を含む日本の地方自治体からのお客様のケアもしました。

自分では、それら自体を負担に感じたことはありませんでしたが、自分の体は嘘をつけなかったようです。

出張中に足、手、顔などに水泡を伴った吹き出物が出てしまいました。それが出ているところは、赤く火照って痛いのです。こんな状態になったのは、これまでで初めてだったので、すぐ治るだろうと放置しておいたら、どんどんひどくなっていきます。

頭痛も続きました。ときおり、ぼーっとして、何もやりたくない状態になり、とにかく眠くてしかたがない。そんな日が長く続きました。

自分では意識していませんでしたが、ストレスと過労だったのでしょうか。過労というほど、たいした量の仕事をしているとは思わなかったのですが。

帰国後、皮膚科で診てもらったら、ヘルペスという診断でした。まさか、という気がしましたが、専門医がいうのですから受け入れるしかありません。医師の指示に従い、点滴を受け、抗生物質を含む薬を処方してもらい、東京の自宅でしばらく静養することにしました。こんなことはこれまでで初めてのことです。

この数日間、ゆっくり寝て、休んでいる間に、症状は徐々に良くなってきました。頭痛もなくなってきました。今週中には復活できると思います。というか、報告書原稿の最終締切があるので、復活しなければなりません。

11月20日から一週間は、別件で、またインドネシア(ジョグジャカルタ)へ出張します。おそらく、今年最後のインドネシア出張になると思います。

体は嘘をつかない、ですね。自分の年齢のことも考えて、仕事と休養のコントラストをうまく作っていくこともこれからの課題だと改めて感じ入りました。

2016年10月26日水曜日

トウガラシの花、ジャガイモの花

インドネシア・東ロンボク県センバルン郡の野菜畑を歩きながら、出会ったのは野菜だけでなく、野菜の花たちでした。

トウガラシの花を初めて見ました。小さな白い花でした。


あまり目立たない、白い色の控えめな佇まいでした。質素な感じもします。


周りは、見渡す限りのトウガラシ畑。そういえば、トウガラシのことをロンボクともいうのです。ロンボク島はトウガラシの島、なのです。

続いて、ジャガイモの花。


あの不恰好な形のジャガイモからは想像もつかない、素敵な花でした。


このジャガイモ畑から獲れるジャガイモは、インドネシアの食品大手企業との契約栽培です。かつてはニンニクの第産地として名高かったセンバルン郡でしたが、政府によるニンニク輸入拡大政策の影響で、ニンニクから他作物への転作が必要になったとき、転作作物として、東ロンボク県政府が食品大手企業とのジャガイモの契約栽培の話を持ってきたそうです。

それにしても、こうした花が咲くからこそ、実がなるのだ、という当たり前のことに気づかされます。そう思うと、野菜の花の可憐さが愛おしく感じられます。

今週は、とにかく報告書原稿を仕上げなければなりません。そんな合間に、こんなブログも書いてみたくなります。

2016年10月24日月曜日

いったん帰国しました

10月23日朝、日本へいったん帰国しました。東京の自宅で家族で鍋を囲んで少しほっこりしました。

JICA案件のインドネシア出張は、まだ7日残っており、その出張が10月30日〜11月5日まであります。

今回の帰国は、日本からお連れする福島市チームの日程がどうしてもそこでないと難しいということで、こちらの日程を合わせた形です。福島市チームと東ジャワ州バトゥ市との農業分野での連携可能性を探る2回目の訪問をお世話します。

もっとも、今回のわずか1週間の帰国中、10月28日(金)午後、名古屋にて、愛知県立大学主催の「インドネシア現地経済事情講習会」で講演することにもなっています。講演会のお知らせは以下のページに出ていますので、ご希望の方はどうぞお申し込みください。

 インドネシア現地経済事情講習会

帰国中の残りの日々は、とくに予定が入らなければ、JICA案件での報告書の担当箇所の執筆に充てることになります。ちょっと書き過ぎてしまった和文原稿(A4で30枚ほど)を自分で英訳もしなければならず、これがけっこう面倒で四苦八苦しています。

4月から続いてきたJICA案件もあと1〜2カ月で終了となり、次の新たな展開へ向けて動いていくことになります。少なくとも、このJICA案件でお付き合いを始めた日本の地方自治体とインドネシアの地方政府とは、引き続き、様々な形で長くお付き合いを続けていくことになりそうな気配ですし、すでにそう覚悟を決めています。

とりあえず、(一時)帰国のご報告でした。

ロンボク島のスンギギビーチでみた夕陽。
右にうっすらとバリ島のアグン山を臨む。
(10月16日撮影)

2016年10月20日木曜日

センバルンの夜は寒かった

東ロンボク県のセンバルンは、このブログでも取り上げたように、標高1000メートル以上の高原に立地しています。高原野菜の産地で、あらゆる野菜が栽培されています。


とくに盛んなのは、トウガラシ、ジャガイモ、シャロット(赤ワケギ)、ニンニク、キャベツ、レタス、ナス、トマト、ブロッコリー、スイートコーンなどの野菜。イチゴ、メロン、オレンジなどの果物。

メロンとスイートコーンは、BSDのイオンモールで売られていますので、きっと見たことのある方も多いことでしょう。センバルン産とはどこにも書いてありませんけれども。

センバルンは、リンジャニ山への登山口でもあり、土日ともなると、登山の観光客などで賑わいます。観光客が帰る前に、畑へ行くと、実は、そこで野菜や果物を直接買うことができるのです(土日のみ)。

畑への入場料として15,000ルピアを払い、好きなだけ摘み取って、キロ当たりいくらで買うことができます。観光農園ではないのですが、フツーの畑でそれをやっています。

センバルンの農地は火山灰土で水はけが良く、土中に病原菌がないというニュージーランドの専門家の調査があるようです。ジャガイモもニンニクも、インドネシア各地で病気にやられていたときに、センバルンでは病気が発生しなかったということです。

ジャガイモの大半は大手食品メーカーのインドフードと契約栽培していますが、インドフードはこの病気フリーのジャガイモというところに目をつけたものと思われます。

畑地では、次々に栽培する作物を変えながら連作障害を避ける工夫をしています。

もっとも、有機栽培というわけではなく、化学肥料をけっこう使用していました。かつては肥料も農薬も使わなかった、ということなのですが。

それはそうと、今回は、初めてセンバルンに泊まりました。センバルンには、何軒か宿泊できる宿があり、意外に清潔で新しいところがあります。私が泊まったのは、Pesona Rinjaniという宿で、コテージで1泊50万ルピアでした。

宿の前には広い敷地があり、コテージがいっぱいになると、そこにテントを張ってお客さんに泊まってもらうこともあるのだそうです。

宿の目の前には、リンジャニ山がドーンとそびえていて、雄大な眺めです。


しかし、センバルンの夜を侮っていました。夜の気温は、おそらく10度前後まで下がり、部屋にある毛布1枚ではとても寒い。長袖のウィンドブレーカーを着ていても、夜風が冷たく、寒くて仕方ありませんでした。

お連れした兵庫県の方々も、「まさかロンボクでクーラーなしでもこんな寒い経験をするとは思わなかった」と言っておられました(怒っていたわけではないので助かりましたが・・・)。

そして、朝8時過ぎになると、急速に気温が上がり、汗ばんできます。この昼夜の気温の差がまた野菜栽培に適しているのかもしれません。

インドネシアで涼を求める方には、センバルンでの宿泊をお勧めします。ただし、寝袋や温かいオーバーなどを忘れずに。

2016年10月19日水曜日

疲労困憊の日々

10月13〜17日は、兵庫県職員の方2名を東ロンボク県へお連れしていました。この2名がとても素晴らしい方々で、東ロンボク県では大変よい経験とアドバイスをされました。

内容については省きますが、東ロンボク県の方々も大変嬉しく感じ、とてもよい交流のひとときになったと思います。兵庫県にとっても、東ロンボク県にとっても、いい形で末長く交流が続くことを祈っています。

さて、今回の出張は体調が思わしくなく、風邪気味だったのに加えて、鼻と喉がやられてしまい、お客様のアテンドをしたこともあって、毎日のように疲れを感じてしまいました。しんどいのですが、歳のせいだとは思いたくありません。

そんなわけで、ブログの更新もなかなかできず、日記の体裁を取れずに来ましたが、そろそろ本来の日記に戻したいと思います。これまでの出張中の出来事や雑多なことをまた書いていこうと思います。よろしくお付き合いください。

仕事のほうは、いよいよ大詰めに近くなり、報告書の担当箇所の執筆締め切りが迫ってきました。和文に加えて英訳もしなくてはならず、和文部分をかなり長く書いてしまったことを後悔しています。

とはいえ、やらなければならない、ということで、ジャカルタの「アジト」を離れ、今晩からホテルに4泊し、おこもりすることにしました。22日の昼までジャカルタの某ホテルにこもって、少しでも原稿を書くことにします。

でも、とりあえず、今日はここで寝ます。原稿の合間に、ちょこちょこと「日記」を書ければと思っています。おやすみなさい。

このホテルのインターネット、建物が古いせいか、ちょっと遅いなあ。

2016年10月11日火曜日

バトゥでカンビンづくし

先週、仕事で行った東ジャワ州バトゥ市は、標高1000メートル弱の高原都市。富士山と同じ、コニーデ型の山々が見える、風光明媚な涼しい街です。

バトゥは、東ジャワ州随一の観光都市でもあるのですが、話によると、インドネシア国内の年間訪問観光客数でジョグジャカルタを抜いて、バリに続く第2位の地位を獲得したのだとか。しかも、そのほとんどは国内観光客、所得上昇によるインドネシア国内の観光ブームが続いていることがうかがえます。

それでも、東南アジアでは珍しいりんご狩りができるとあって、マレーシアや台湾などからの観光客がバスを連ねて観光農園へりんご狩りに来る様子もよく見られるようになりました。

仕事では、高原野菜や優良果物の大産地でもあるバトゥから、インドネシアの農業の未来を作れないか、と密かに思っているところですが、その話はとりあえず置いておいて・・・。

カンビンです。

カンビンとは、インドネシア語で山羊のこと。高原都市バトゥの夜は涼しく、気温20度以下になることもよくあります。そんなとき、体を温めてくれるのがカンビンです。

たまたま、9月に日本へ研修に行ったときに一緒だった方々とバトゥで再会し、夜、みんなでカンビンを食べに行きました。行く先は、メシール食堂(Rumah Makan Mesir)。メシールとはインドネシア語でエジプトのことです。

さっそく頼んだのが、サテ・カンビン。山羊肉の串焼きですが、東ジャワや中ジャワのさて・カンビンは、子ヤギの肉を使うので、ジャカルタで食べる硬いサテ・カンビンとは違って、柔らかいのです。


この店では、ピーナッツソースで出てきましたが、個人的には、ケチャップ・マニス(甘くてドロッとした黒豆由来のソース)と赤わけぎ+ジュルック、のほうが好みです。

サテ・カンビンに引き続いて、グライ・カンビン。ジャワ風の山羊カレー、といった趣ですが、ココナッツミルクのたっぷり入ったトンセン・カンビンよりはあっさり系です。


インドネシアと関わりだした駆け出しの頃、といえば今から30年近く前ですが、ジャカルタでよく、カンビンづくしをしていました。当時、サテ・カンビンを10串とソプ・カキ・カンビン(山羊の脚肉・臓物のスープ)という、見るからにコレステロール満載、健康に悪いよね、という見本のような食事をしました。その結果もあって、長年にわたり、高脂血とお友達状態が続いてしまっています。

さすがに、30年経った今となっては、そんな食べ方はできないのですが、それでも、バトゥの夜には、サテ・カンビンを7串も食べてしまいました。まだけっこういける?と浅はかにも思ってしまうのですが。

今回の出張前半は、体調がすぐれず、調子が良くなかったのですが、ここに来て、体調は回復し、いつもの元気が戻ってきました。カンビンのおかげもあるに違いない、と勝手に思っています。

いつもそうやって、自分はこれまで、インドネシアの食べ物に支えられてきたような気がします。

2016年10月6日木曜日

今年2回目のセンバルン訪問

リンジャニ山の東側に広がるセンバルン地区。今回は2回目の訪問でした。


標高1000メートル以上の高原地帯で、涼しい気候を利用した高原野菜・果樹栽培が盛んです。肥沃な火山灰土のおかげで、ほとんどの種類の野菜を作ることができ、しかも、病気フリー。それに目をつけたインドフードなどの大企業が契約栽培を手広く行っています。


ここで栽培されたメロンは、ジャカルタ近郊のイオンモールでも販売されているとか。甘い、です。


酸っぱくないイチゴ、甘さはイマイチですが。アメリカ原産の苗で栽培。


センバルンは、リンジャニ山へ登る登山者たちの中継地点でもあり、土日ともなると、登山を終えた人々が帰る前に畑に寄って、直接、野菜や果物を買う光景も見られるといいます。そうした畑では、入場料1万ルピアを払ってもらい、自分で摘んでキロ単位いくらで購入し、お土産にするのだそうです。

センバルンで宿泊できるゲストハウスのようなところがいくつかあります。設備の面からはホテル並みとは言えませんし、Wifiがあるわけでもないのですが、意外にとt乗っている印象でした。最近できた小ホテルの部屋はこんな感じです。


まだまだ設備は貧弱ですが、あと10年もすると、ゲストハウスがたくさん道沿いに現れていくのでしょうか。

東ロンボク県の県都セロンからセンバルンへ向かう途中に、ロンボク植物園の看板があります。この植物園は国立ではなく、東ロンボク県政府が音頭をとって、小スンダ列島の植生を研究するセンターとして育てたい意向です。開業は2017年です。